本院のご案内
頂葉文殊菩薩
天保年間に、磐田市南御厨・東新屋鈴木佐七家より寄進のものである。
その昔稗原陣屋高天神城主大河内家の家老にて金原作之七家に伝えら
れた文珠菩薩であったとのこと。太田川の大水にて流失し、雁代海岸
に流れつき、鈴木佐七家でこれを拾ひて仏壇にて祀っていた。子供達
は、これを遊びの仲間にして遊んだと言われていたが、ある時鈴木家
の当主の夢枕に三日三晩現れ、「我天竺の文珠なり。我龍巣院へ行か
んと欲す。我を連れて行くべし。我が願ひを聞き届ける時は、汝の願
いを聞くであろう」主人が「我が願ひは外になし我に依頼する。文珠
さん御本体を具現せば承知し龍巣院に行かん」「されば明朝夜明前に
前庭に出ずべし、本体具現せん」とて翌朝家中前庭に出でたれば庭前
の柏の大木に金色の大蛇身を現わし、やヽあって東空に飛踏せりとこ
れは昭和7年に祖母が子供の頃その祖母から聞いた話であると
鈴木家に伝えられていた。蓮の葉を頭に載経巻をもっている
2寸5分程の金銅仏である。
厄除十一面観音
慶長11年11世金谷珊鉄和尚西国33番観音霊場巡拝なし各観音様を勧
請し帰して後、石に写経してこれを各地に埋め観音像を建立配置し霊場巡
拝をせしめたりその時に求め来る仏像は、山火事で焼失したが安永年間
220年前に再び22代巨庵代に西国霊場巡拝し11面厄除観音像を勧請
し来たりたり。山内に33体の観音像を祀り巡拝に30分程、観音堂には
、厄除11面観音像と長岡稲荷とを祀ってあります。
安永9年西国33番巡拝の時に求め来り旅の安全を祀念し無事帰ることが
出来た。背面に参加者の名が書かれている。
厄除け観音様であり、満願成就の願ひを聞き叶へて下さる観音様である。
長岡稲荷
当龍巣院の出来る時に出現し、我稲荷なり道案内せんと、
願望聞きとどけるべし、乾にありて寺を守るべしとして
奥の院として祭り、参拝者多し。現在本堂中には伏見よ
り勧請せる御神体を祭りてある。
(3月27日をもって祭典日とす)龍神は坤にありて
入口を固めて寺を守る位置に祀ってある。